解説 |
1.同時履行の抗弁権とは
不動産売買契約においては,売主側は,不動産の引渡し及び所有権移転登記手続必要書類交付の義務(債務)を負い,買主側は,売買代金の支払義務(債務)を負いますが,両者は,同時に履行するものとされているのが通常です(契約書上は,「売主は,買主に対し,本件不動産を,売買代金全額の受領と同時に引渡す」等と規定されます)。
そのため,売主及び買主は,双方とも,相手方が債務の履行を提供するまでは,自己の債務の履行も拒むことができます(民法533条)。
これを同時履行の抗弁権といい,具体的には,売主側は,買主が売買代金の履行の提供をしないうちは,自己の反対債務(不動産の引渡し及び所有権移転登記手続必要書類交付)を履行しなくても債務不履行責任を負うことはなく,買主側も,売主が不動産の引渡し及び所有権移転登記手続必要書類交付の履行の提供をしないうちは,自己の反対債務(売買代金の支払)を履行しなくても債務不履行責任を負うことはありません(【東京地裁平成28年12月27日判決】)。
【民法533条】
双務契約の当事者の一方は、相手方がその債務の履行(債務の履行に代わる損害賠償の債務の履行を含む。)を提供するまでは、自己の債務の履行を拒むことができる。ただし、相手方の債務が弁済期にないときは、この限りでない。
【東京地裁平成28年12月27日判決】
同時履行の抗弁は,双務契約における債務の対価的な牽連性により,双務契約の当事者の一方は,自己の債務が弁済期にある場合であっても,相手方から弁済期にあるその債務の履行の提供を受けるまで,自己の債務の履行を拒否することができるというものであり(民法533条参照),同時履行の抗弁権が認められる場合には,行為の違法性が阻却され,債務不履行による責任を免れることができる。
そして,双務契約である有償委任契約及び準委任契約における委任者の受任者に対する報酬支払債務と対価関係に立つ受任者の債務は,委任契約又は準委任契約の目的である事務の処理であり,受任者の委任者に対する受取物引渡義務の履行は,厳密に言えば,委任者の受任者に対する報酬支払債務と対価関係に立つものではないが,報酬を支払わない委任者が,受任者に対し,受取物の引渡義務の履行を強制することは相当でなく,双務契約における当事者間の公平を図るためという同時履行の抗弁の制度の趣旨に鑑み,同抗弁権の行使を認めることができるものと解するべきである。
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2.同時履行の抗弁権を喪失させる履行の提供とは
相手方が履行の提供(=弁済の提供)(民法493条)をした場合には,仮にこれを受領しなかったとしても自己の有する同時履行の抗弁権の存在効果(自己の債務を履行しなくても債務不履行責任を負わないという効果)は消滅します。
具体的には,買主側が売買代金の履行を提供した場合には,売主側は,同時履行の抗弁権を喪失し自己の反対債務(不動産の引渡し及び所有権移転登記手続必要書類交付)を履行しなければならず,これを履行しない場合は,債務不履行となり,契約解除されたり損害賠償責任を負うことになります。
この点,何をもって「履行の提供」(=弁済の提供)となるかは,当該債務の内容(持参債務か取立債務か)及び相手方の態度等により相対的に判断されます。
例えば,取立債務(債権者が債務者の住所地又は指定場所まで受領しに来ることとされているもの)の場合及び債権者が受領を予め拒絶している場合は,その相手方(債務者)は,口頭の提供すなわち弁済の準備をしたことを債権者に通知してその受領の催告をすれば,履行の提供(弁済の提供)とみなされます(民法493条但書)。
また,同時履行の抗弁権は、契約当事者が、双務契約の対立する各債務につき同一の履行期を定めた場合に、相互に、履行期までに相手方がその債務を履行するのと同時に自己の債務を履行することができるよう大略の準備をし、履行期に自己の債務を履行すればこれと引き換えに相手方から債務の履行を受けられるものと期待できることを前提として、対立する各債務を関連的に履行させるため認められるものです。
従って,相手方が自己の債務の履行をしない意思が明確な場合や,自己の債務を履行することができる状態に準備していたのに相手方がこれを知りながら自己の債務の履行の準備に相当の遅れを来して履行期を徒過したような場合には,履行の提供を(口頭の提供すら)しなくても相手方は同時履行の抗弁権の存在効果を喪失する(債務不履行責任を負う)と解されています(前者につき【最高裁昭和41年3月22日判決】,後者につき【大阪高裁平成8年12月10日判決】)。
ただし,この場合でも,自己の債務の履行を完了するか又は履行の提供(=弁済の提供)(民法493条)を継続しない限り,相手方の同時履行の抗弁権そのものが確定的に喪失するわけではありません(【最高裁昭和34年5月14日判決】参照)。
すなわち,一旦,自己の債務の履行の提供をすれば,実体法上の効果として,反対債務を履行しない相手方に対し債務不履行責任(契約解除や損害賠償)を請求することはできますが,本来の反対債務の履行を請求する場合は,再度,自己の債務の履行の提供をしなければならず,訴訟になった場合には,自己の債務の履行との引換給付判決となるのが通常です(【東京地裁平成29年3月29日判決】【東京地裁平成29年12月13日判決】。なお,訴訟になった後(訴訟中)に,再度,自己の債務の履行の提供をした場合には,(相手方の反対債務につき)「同時履行の抗弁権の行使の効果は障害ないし消滅させられた」として引換給付判決をしなかったものとして【東京地裁平成27年10月21日判決】がある。また,大江忠『要件事実民法(4)債権各論(第3版)』〔第一法規 2005年〕51頁も「訴え提起後に一度履行の提供がなされた場合には,同時履行の抗弁はつぶれる」とする)。
もっとも,同時履行の抗弁権は権利抗弁と解されているため,原則として,相手方がこれを行使(主張)しない限り引換給付判決となはらず(【東京地裁令和5年3月30日判決】。但し,【東京地裁昭和49年2月7日判決】は他方当事者から同時履行の抗弁権の主張があった場合に引換給付判決を肯定),また,行使したとしても,信義則上,引換給付判決にならない例外的な事例もあります(【最高裁平成21年7月17日判決】【東京地裁令和4年1月17日判決】)。
【民法492条】
債務者は、弁済の提供の時から、債務を履行しないことによって生ずべき責任を免れる。
【民法493条】
弁済の提供は、債務の本旨に従って現実にしなければならない。ただし、債権者があらかじめその受領を拒み、又は債務の履行について債権者の行為を要するときは、弁済の準備をしたことを通知してその受領の催告をすれば足りる。
【最高裁昭和34年5月14日判決】
双務契約の当事者の一方は相手方の履行の提供があつても、その提供が継続されない限り同時履行の抗弁権を失うものでない。
【最高裁昭和41年3月22日判決】
双務契約において、当事者の一方が自己の債務の履行をしない意思が明確な場合には、相手方において自己の債務の弁済の提供をしなくても、右当事者の一方は自己の債務の不履行について履行遅滞の責を免れることをえないものと解するのが相当である。
【東京地裁昭和49年2月7日判決】
被告がこのように、対立関係にある右所有権移転登記義務に関し、同時履行の抗弁権を行使した以上、被告の原告らに対する本件損害賠償請求は、原告らから特に同時履行の抗弁権の行使がなくても、信義公平の原則に照らし、右被告がなす所有権移転登記手続と引換えでなければ請求できないものと解するを相当とする。
従って被告の原告らに対する本件損害賠償請求についても引換給付の限度において認容すべきである。
【大阪高裁平成8年12月10日判決】
双務契約の一方当事者が契約を解除するには、他方当事者の同時履行の抗弁を喪失させるため、履行期以降に自己の債務につき履行又は履行の提供をし、更に他方当事者に対しその債務の履行を催告することを要するが、この同時履行の抗弁は、契約当事者が、双務契約の対立する各債務につき同一の履行期を定めた場合に、相互に、履行期までに相手方がその債務を履行するのと同時に自己の債務を履行することができるよう大略の準備をし、履行期に自己の債務を履行すればこれと引き換えに相手方から債務の履行を受けられるものと期待できることを前提として、対立する各債務を関連的に履行させるため認められるものであるから、一方当事者が履行期に他方当事者からその債務の履行を受けることを期待して自己の債務を履行することができる状態に準備していたのに、他方当事者は、これを知りながら、自己の債務の履行のための準備に相当の遅れを来して履行期を徒過し、一方当事者に同期限経過後も待機するのをやむを得ないものとして受忍することを期待できる程度の期間内に履行可能な状態に達し得ると客観的に認められる事情もない場合には、一方当事者は他方当事者に対する催告及び履行の提供を要することなく契約を解除することができるものと解すべきであり、それが同時履行の抗弁の基をなす公平の原則にもかなうものというべきである。
右の見地からすると、被控訴人らは、双務契約から生ずる対立した債務を負担するものとして、同時履行の抗弁権を有するものの、本件土地の宅地造成工事がその性質上相応の工事期間を要するものであることを考慮しても、被控訴人らにおいて本来約定の履行期までに右工事を完了すべきものであり、かつ、証拠を総合してもこれが不可能であったことを認める事情は認められないことに照らすと、控訴人が履行期経過後なお待機することをやむを得ないものとして受忍することを期待できる程度の期間はそれが認められてもごく短いものであり、履行期である平成三年五月三一日の時点における宅地造成工事等の進捗状況及び程度は、その受忍期間内に完成に達することはできないものといわざるを得ないから、控訴人が本件契約を解除する関係においては、控訴人が残代金支払の準備をしその債務を履行することができる状態にあり、被控訴人らがこれを知りながら右時点を徒過したことが認められれば、被控訴人らは当然に履行遅滞となり、控訴人は、被控訴人らに対する催告及び履行の提供を要することなく本件契約を解除することができることになる。
<中略>
前記のとおり、双務契約の一方当事者が契約を解除するには、他方当事者の同時履行の抗弁を喪失させるため、履行期以降に自己の債務につき履行又は履行の提供をし、更に他方当事者に対しその債務の履行を催告することを要するが、その程度は、信義則上、他方当事者の債務履行についての態度等により軽減されるというべきであり、控訴人は、被控訴人らによる本件土地の造成工事等の進捗状況及び程度に照らし、前記の平成三年五月二八日における態度を、その直後に到来した履行期である同月三一日においても維持していたことが明らかであるから、同日、被控訴人らに対し、残代金の口頭の提供と同日までに履行の準備をしていることを前提として可及的すみやかに履行すべきことを催告したものと認めることができるとともに、控訴人の履行の提供及び催告は右の程度をもって足りるというべきであり、さらに、控訴人が被控訴人らに対し本件契約解除の意思表示をした平成三年六月八日には、既に右催告の期間を経過したものと認めることができるというべきである。
【最高裁平成21年7月17日判決】
仮に被上告人が本件売買契約に基づいて移転された登録名義を回復するために,上告人に対して被上告人の主張するような移転登録請求権を有するとしても,上告人が被上告人からの移転登録請求に応じるためには,本件自動車について移転登録が可能なように複数車台番号状態を解消する必要があるが,それが容易に行い得るものであることをうかがわせる資料はなく,本件自動車の車台の状態等からすると,上告人から被上告人への移転登録手続は,仮に可能であるとしても,困難を伴うものといわざるを得ない。そして,前記事実関係によれば,被上告人は,本来新規登録のできない本件自動車について本件新規登録を受けた上でこれを自動車オークションに出品し、上告人は,その自動車オークションにおいて,被上告人により表示された本件新規登録に係る事項等を信じて,本件自動車を買受けたというのであるから,本件自動車が接合自動車であるために本件売買契約が錯誤により無効となるという事態も,登録名義の回復のための上告人から被上告人への移転登録手続に困難が伴うという事態も,いずれも被上告人の行為に基因して生じたものというべきである。
そうすると,本件自動車が,被上告人が取得した時点で既に接合自動車であり,被上告人が本件新規登録を申請したことや,本件自動車を自動車オークションに出品したことについて,被上告人に責められるべき点がなかったとしても,本件自動車が接合自動車であることによる本件売買契約の錯誤無効を原因とする売買代金返還請求について,複数車台番号状態であるために困難を伴う本件自動車の移転登録手続との同時履行関係を認めることは,上告人と被上告人との間の公平を欠くものといわざるを得ない。
したがって,仮に被上告人が上告人に対し本件自動車について上告人から被上告人への移転登録請求権を有するとしても,上告人からの売買代金返還請求に対し,同時履行の抗弁を主張して,被上告人が上告人から本件自動車についての移転登録手続を受けることとの引換給付を求めることは,信義則上許されないというべきである。
【東京地裁平成27年10月21日判決】
原告らがいずれも平成27年9月16日に終結した本件口頭弁論の期日において買戻し合意の目的物である訴外会社の株式の株券を呈示して被告に引き渡せる状態にするとともに,今後も原告ら代理人事務所において被告に引き渡せる状態で保管していくことを述べたことは当裁判所に顕著であり,これは株券引渡しの履行の提供にあたると判断される。
そこで,この履行の提供が被告による同時履行の抗弁権の行使の効果を障害ないし消滅させるものであるかどうかを検討するに,訴訟において履行の提供の存在を認識できる時点は訴訟の口頭弁論終結時までであり,それより後の履行に関する成り行きは訴訟においては認識のしようがないことである。
したがって,同時履行の確保ということを最後まで見届けるのを是とし,訴訟中の履行の提供をもってしても同時履行の抗弁権の行使の効果を障害ないし消滅させ得ないと解すると,民事の本案訴訟では,同時履行の抗弁権の行使の効果を障害ないし消滅させ得る履行の提供はおよそあり得ないことになる。
しかしながら,被告としては,原告から履行の提供がなされているのであるから,それを受容すればよいと考えられる。
そうしないでおいても同時履行の抗弁権の行使の効果を障害ないし消滅させられることはないとすると,原告らとしては,本件訴訟では引換給付判決しか得られず,民事執行法31条1項の要件を具備すべく,公証人を公証者としてその面前で再度の履行の提供を行い,その現認調書によって同項の要件を証明するなどしなければならないということになり,履行の提供を要求することにつき過重に失するというべきである。
以上の検討によれば,本件では,原告らの履行の提供により,被告による同時履行の抗弁権の行使の効果は障害ないし消滅させられたと判断するのが相当である。
【東京地裁平成29年3月29日判決】
控訴人は当審において同時履行の抗弁権を行使したから,引換給付判決をすべきである。
この点,被控訴人は,被控訴人が本件各絵画の引渡しの現実の提供をした旨主張するが,被控訴人による現実の提供があっても,その提供が継続されない限り同時履行の抗弁権が失われるものでない(最一判昭和34年5月14日民集13巻5号609頁)から,被控訴人の主張は失当である。
【東京地裁平成29年12月13日判決】
原告の弁済の提供により被告が履行遅滞の責任を免れないとしても,なお引換給付判決を求めることができる(その限度で,同時履行の抗弁権が認められる)。
【東京地裁令和4年1月17日判決】
同時履行の抗弁は,当事者間の公平等をその趣旨とするものであるところ,仮に,本件マンションの引渡しや所有権移転登記手続等を受けることとの引換給付判決がされた場合,原告は,所有権移転登記抹消登記手続等の履行の提供を行わなければ,強制執行を行うことができないこととなり,被告が,被告の不当利得額を全額弁済することのできる資産を有しないことが窺われる状況の下では,原告は,事実上,強制執行による権利の実現が著しく制限されることとなる。
他方で,本件売買契約が消費者契約法に基づき取り消されるという事態は,被告の行為に基因して生じたものである。
このような事実関係の下では,本件売買契約の消費者契約法に基づく取消しを原因とする売買代金返還請求について,本件マンションの引渡しや所有権移転登記抹消登記手続等との同時履行を認めることは,原告と被告との間の公平を欠くものといわざるを得ない。
したがって,仮に被告が原告に対し,本件マンションの引渡請求権や所有権移転登記抹消登記請求権を有するとしても,原告からの売買代金返還請求に対し,同時履行の抗弁を主張して,被告が原告から本件マンションについての引渡しや所有権移転登記抹消登記手続等を受けることとの引換給付を求めることは,信義則上許されないというべきである。
【東京地裁令和5年3月30日判決】
原告は、被告から本件車両の引渡しを受けているところ、その返還債務と上記不当利得返還債務とは同時履行の関係にあるものと認められるが、被告による同時履行の抗弁権の行使がないため、引換給付判決にはしない。
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結論 |
以上より,相手方の同時履行の抗弁権を喪失させるためには,原則として履行の提供(弁済の提供)を継続する必要がありますが,相手方が自己の債務の履行をしない意思が明確な場合や,自己の債務を履行することができる状態に準備していたのに相手方がこれを知りながら自己の債務の履行の準備に相当の遅れを来して履行期を徒過したような場合には,履行の提供を(口頭の提供すら)しなくても相手方は同時履行の抗弁権を喪失すると考えられます。
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実務上の注意点 |
3.供託
前述2のとおり,相手方が売買代金等の金銭債権の受領を拒否している場合には,現実の提供をしなくても,口頭の提供をすれば足りますが(民法493条但書),自己が債務不履行責任を負わされるリスクを確定的に払しょくするため,法務局に売買代金相当額を供託するという方法もあります。
但し,「債権者がその受領を拒んだ」こと等が供託の有効要件となるため(民法494条1項1号),多湖・岩田・田村法律事務所では,債権者が受領を拒否したことを裏付けるメールの記録等を証拠として保存しておくよう助言しています。
【民法494条】
弁済者は、次に掲げる場合には、債権者のために弁済の目的物を供託することができる。この場合においては、弁済者が供託をした時に、その債権は、消滅する。
一 弁済の提供をした場合において、債権者がその受領を拒んだとき。
二 債権者が弁済を受領することができないとき。
2 弁済者が債権者を確知することができないときも、前項と同様とする。ただし、弁済者に過失があるときは、この限りでない。
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※本頁は多湖・岩田・田村法律事務所の法的見解を簡略的に紹介したものです。事案に応じた適切な対応についてはその都度ご相談下さい。
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